2011年5月24日火曜日

プロジェクトメンバー石巻・女川へ -3

前稿の続きです.

5月13日~現地の被害の様子.被災地の子ども達の状況を知ると共に,別プロジェクトである“カメパオプロジェクト”の活動を実施することを目的に被災地に入りました.
メンバーは,KAMEの翼プロジェクトメンバーの中原,渋垂,黄瀬,寺田,原田の5人です.4月19日~20日に下見のため被災地入りした渋垂,寺田が現地で作ったネットワークを頼りに活動を行ってきました.そのときの様子を簡単に報告します.
なお,中原,渋垂,黄瀬,寺田の4人はそれぞれ京都,静岡に帰り,原田は23日現在も石巻・女川に残っています.

今回は,カメパオプロジェクトの活動について書きます.

●カメパオプロジェクトの女川での活動

完成直前のカメパオ

 カメパオプロジェクトは,災害などの緊急時に子ども達に安全でくつろげる居場所を提供するためのプロジェクト.これまで,幼稚園,美術館,アゴラでは作られて子ども達に使ってもらってきたが,実際に被災地の子ども達に提供するのは始めて.

 カメパオホームページ:http://www.kamepao.com/jp/

 渋垂,寺田が4月19日に現地を訪れた際に,早くから現地で子ども達のためにボランティア活動を行っていたワタナベさんの紹介で女川町立第一保育所の所長さんと知り合った.その縁で,女川町で活動することに.女川町は,津波により特に甚大な被害を受けた場所の一つ,多くの人が家を失い避難所で生活している.避難所となっているのは,津波が到達しない高台にあった保育所や小学校,体育館などの公共施設.
 現在避難所となっている場所では,場所が限られているため,今回は6月中旬に再開予定の女川町立第四保育所にカメパオを設置することになった.保育所が再開したら子ども達にカメパオで思いっきり遊んでもらう.


5月14日 女川カメパオ長男 制作・完成

 午前9時,5名で第四保育所を訪れ制作開始.保育所の先生方も手伝ってくれることになり,大人数で制作を進める.
 お昼休憩をはさみ,午後3時ごろ作業が終了した.そして中に,寺田さんが作った,人形・クッション・マットと,子ども達が自由に使える道具セットが入れられカメパオ完成.
 子ども達がカメパオで遊べるように,早く皆さんの生活が元に戻り保育所が再開してくれればと思う.

津波の被害を免れた女川町立第四保育所
ここで作る
保育士の皆さんに作業の説明
皆で説明
分担して作業 
寺田さんが作ってくれたカメパオの住人達
各部品を作っていく
部品を合体させていく
制作は進む

中の様子

立ち上がっても大丈夫 
保育所にカメパオ出現
中は居心地が良い
人と比べるとカメパオの大きさがよく分かる
みんなで完成を祝って万歳
子ども達の帰りを待つ保育所



5月18日 女川カメパオ次男 制作

 続いて,5月18日.先日カメパオ作りを手伝ってくれた保育士さんが,独自に新しいカメパオを作っていると知らされ様子を見に行った.
 場所は,女川町立第一保育所の向かえにある,女川町役場勤労線少年センター.そこには,バスケットボールのコート1面分ほどの体育館があり,そこで保育士さん達がせっせとカメパオを作っていた.青少年センターの体育館は,物資の保管庫などに利用されているが,半分ほどは場所が空いていたため,こちらで作ることになったそうだ.
 カメパオの材料となったのは,避難所に届けられる物資の箱.この箱なら毎日届くからたくさんある.その他の道具は,保育所の先生方に渡してあった.
 ダンボールが若干小さく,また,それほど強いダンボールではないため強度が心配だが,何とか形になりそう.

作業の様子
パンの箱が材料
組み立て
作業は進む
体育館


5月22日 女川カメパオ次男 完成

 再び青少年センターを訪れ,カメパオの状況を見させてもらう.行ってみたら,もうカメパオが完成しており,中には子ども達が.
 保育士さん達が時間を見つけては,作業をして作り上げた.

 この日はちょうど,体育館で避難所の方々向けに,沖縄のダンスチームがダンス教室を行っていた.大人達はダンスを習い体を動かし,その傍らにあるカメパオで小さな子ども達が遊んでいた.カメパオがあれば,そこで退屈せずに遊ぶことができるため,子ども達が勝手にどこかに行ってしまいにくく,親御さん達にとってもカメパオはちょうど良い物となっていた.

 カメパオの底には,体操用のマットが引かれかなり居心地の良い感じになっており,子ども達は数人で中に寝そべり本を読んだり,パンを食べたり・・・していた.
 通常カメパオの出入り口は,床に接する部分で三角形に空いているところなのだが,このカメパオは小さい上強度がなく,下の部分からは出入りできない.そのため側面に空いた五角形の部分から子ども達は出入りしていた.
 ただ,やはり強度がなく,出入り口となっている五角形の部分は既にダンボールが破けてしまっていた.この辺りは,ガムテープ等で補修しながら使っていってもらうしかない.
 ただ,子ども達は喜んでカメパオで遊んでいたので,カメパオが女川に伝わってとても良かったと思う.今後の女川カメパオ次男の成長(破壊と修復)に期待.

完成していた
大喜び
・・・もう破けてる
6人も中にいた
小さいから上から顔を出せる 
ここが出入り口
こうやって出る

harada

2011年5月19日木曜日

プロジェクトメンバー石巻・女川へ -2

前稿の続きです.

5月13日〜現地の被害の様子,被災地の子供達の状況を知ると共に,別プロジェクトである“カメパオプロジェクト”の活動を実施することを目的に被災地に入りました.
メンバーは,KAMEの翼プロジェクトメンバーの中原,渋垂,黄瀬,寺田,原田の5人です.
4月19〜20日に下見のため被災地入りした,渋垂,寺田が現地で作ったネットワークを頼りに活動を行って来ました.そのときの様子を簡単に報告します.

今回は被災地の子供達の状況ついて書きます.
※あくまでも,被災地の状況を実際に見て,個人的に感じた事をまとめるので,事実と異なることもあるかもしれません.


●被災地の子供達の状況
津波に呑まれた時刻で止まったままの時計
 避難所になっている女川町立第一保育所,石巻市立渡波小学校などで子供達とふれあい感じた事を書きます.


 被災して,家を失ってしまった人々が暮らす避難所での子供達は,想像以上に心に大きな負担を受けながら生活しているように感じました.


・プライバシーの欠如
 保育所や小学校では,1つの教室に数家族が入り共同で生活しています.そのため,家族だけで過ごす時間はありません.小学生くらいまでの子供は,外での顔と,家族内だけの顔の2つを持っているものだと私は個人的に思っています.そのためプライバシーの保たれない避難所での生活では,子供達は常に,本人が意識せずとも緊張したストレスのかかる状態であると思われます.


・止まない余震
 3月11日から2ヶ月以上経過しているにもかかわらず,まだ余震は続いています.今日も夕方に揺れているのが分かる程度の地震がありました.そのような環境で過ごさなくてはならないことも負担になっていると思います.


・子供の相手をする大人の不在
 避難所に常駐している保育士や教師などは,瓦礫の片付けや各種の業務で子供達の相手をしている時間はほとんどありません.それは,子供達の両親でも同じです.職場を失ってしまった人でもそれぞれやることは山のようにあり自分の子供であっても,ずっと見ていることは出来ません.
 そのため,必然的に避難所にいる比較的大きな子が,小さな子の面倒を見ています.年齢を超えて子供達がかたまって一緒に遊んでいるので,ある意味,昔の子供達の社会が再現されているような感じに見えます.ただ,小学校高学年や,中学生はそれぞれ勉強などやることもあるため,この状況が続くことはあまり望ましくありません.
 ただ避難所の子供達と遊んであげるだけのボランティアでも十分価値があるように思いました.


・安全に遊べる場所の欠如
グラウンドでは遊べない
 避難所になっている,保育所や小学校では,体育館も被災者の生活の場になっており,グラウンドも駐車場になっていたり,テントが張られていたりして子供達の遊ぶ場所はかなり限られています.女川第一保育所では,グラウンドで一緒に自転車に乗ったり,ボールで遊んだりしましたが,グラウンドが駐車場になっているため,車の出入りがあり大人がしっかり見ていないと危ないと感じました.
 また,避難所の子供達は屋内にいる時間が長いためか,外で遊びたがる傾向が強いように感じました.特に男の子では,屋内で折り紙を折るよりは外でボール遊びをしたいという感じです.しかし,グラウンドは駐車場,体育館は避難所,道路は大型のダンプカーや自衛隊車両が行き交うため,安全に遊べる場所がとても少ないです.
 グラウンドを駐車所などで利用するにしても,ある一画は駐車禁止にして,子供達が遊ぶ場所を確保するべきだと感じました.




 いずれにしても,子供達の心のケアを二の次にするのではなく,皆がしっかり考え真剣に取り組んでいかなければならないと思います.


harada

プロジェクトメンバー石巻・女川へ

5月13日〜現地の被害の様子,被災地の子供達の状況を知ると共に,別プロジェクトである“カメパオプロジェクト”の活動を実施することを目的に被災地に入りました.
メンバーは,KAMEの翼プロジェクトメンバーの中原,渋垂,黄瀬,寺田,原田の5人です.
4月19〜20日に下見のため被災地入りした,渋垂,寺田が現地で作ったネットワークを頼りに活動を行って来ました.そのときの様子を簡単に報告します.

今回はとりあえず,被災地の様子について書きます.


●被災地の様子
特に被害の大きかった女川町中心部 とても人が住めるような状態ではない
女川は街ごと廃墟のようになっている
石巻市・女川町の様子を報告します.

震災からすでに2ヶ月が経過していますので,自衛隊や消防による行方不明者の捜索が一段落し,重機が入るようになったため大がかりな片付け作業が進んでいます.それでも,片付けをしなければならない場所が多すぎて,まだ手つかずのところも多く信じられないような光景が広がっています.
今回みた一番大きな 重機?


家や,車が流されて原型が分からなくなっているのは普通の光景で,ひどいところでは何もかもが圧倒的な津波のエネルギでバラバラに分解されグチャグチャに混ぜられてしまっていて,言葉の発しようもありません.
破壊された車 車種の判別もできない


さらに,石巻・女川を見た限りではかなり大規模に地盤沈下が起こっているようで至るところで,満潮時には冠水します.道も家もすべて海水に満たされてしまい.片付けのしようもありません.現地の人は,どうしても車が海水にさらされてしまうので,もうこの車は駄目だと諦めながら乗っています.
満潮時には十数センチの高さまで海水がくる
道路が川のようになる

道路が冠水すると,交通が麻痺してしまうので,道をかさ上げする工事が続いています.その工事による渋滞もひどく,ストレスの一因になっているように感じました.
長く続く渋滞


被災地の様子をテレビで見るのと,実際に見ることの一番の違いは,街全体に立ちこめる独特の臭いだと思います.漁港の魚市場の臭いがきつくなったような臭いと想像してもらえば良いと思います.その臭いが津波に覆われた地域には一面に立ちこめています.慣れてしまえばそれほど気にならなくなりますが,それでもあまり気分の良いものではありません.

また,津波により大量の土砂が流されたことにより,あらゆる場所に泥水が入り込みました.雨が降れば,それは泥としてそこに存在しますが,晴天が続くと泥が乾き,細かい砂埃となり街を覆います.そのため,喉や目にダメージが来ます.被災地ではマスクは必須です.コンタクトレンズの人は目のケアが大変そうです.
車の窓はすぐ汚くなる

さらに,至るところで,重機や自衛隊の飛行機やヘリコプターが動いているため騒音もかなりのものです.
大きな飛行機が低空を飛び回る

ささないなことも,積み重なると大きなストレスになります.被災地の人たちが心配に思えるようなことは,数えきれません.


ここに寝袋をつかって5〜6人で寝る

私たちが,宿泊したのは避難所になっているホテル.しかしこのホテルはいわゆるラブホテルと呼ばれるホテルです.このようなところで,家族で避難生活を送っている人もいます.このホテルは,津波にのまれた地域に建っているため,1階部分は完全に使い物になりません.さらにこの建物は水道が戻っていないので,部屋のトイレも水道も使えないため,簡素な仮設トイレを使用しています.
避難所のトイレ 使った紙はビニール袋へ においがすごい
それでも,このような場所で避難生活を送ることが出来る人は比較的恵まれているようです.1家族で1部屋が与えられればプライベートは確保されるし,ベットもあります.さらに避難所になっているため食料や水,生活用品などの物資もしっかり届きます.被災した,自宅で生活を続けている人などはもっと厳しい生活を送っているようです.
被災地での人々の生活の現実を知ると本当に気が遠くなってきます.


被災地の片付けのボランティアや,救援物資の供給はまだまだ必要だと実感しました.
こちらの,子供たちのことも考えながら,プロジェクトを進めていかなくてはならないと実感しました.

harada

2011年5月11日水曜日

リーフレット完成


こんにちは
ついにカメの翼リーフレット完成しました.
皆の思いがつまった力作.多くの人が,これを見て興味を持ってくれると思います.
震災の影響などで,多少日程が遅れましたが,これからプレス発表を経て本格的にサポータを募集して参ります.

追記
リーフレットの製作に主に関わった,丸山さん,神谷さんご夫妻本当にお疲れ様でした.

5月8日の会議の様子
harada